「選ばれる人間」になる – 単純労働したいならいいよ

 学生にとって学歴を身につけることは、何もない自分に1や2を付け足す作業です。「既に持っている」人間には多くのチャンスが訪れます。良い大学の学生は、ボーダーフリー(偏差値のつかない)大学の学生よりも多くの経験を積むチャンスが回ってくることで、さらに多くの1を付け足すことができます。これを見ている学生たち、または自分の子供たちには20代、30代でどれだけの1が付け足されているでしょうか。

 私は高校には行かずに、当時熊本にあった大手予備校の「代々木ゼミナール」に寮付きで通っていました。タイトルにある「単純労働したいなら(できなくて)いいよ」は、当時のとある英語講師がよく言っていた言葉です。

 その英語講師はかなり堅実な講師で、例えば大手予備校では夏期講習や冬季講習のパンフレットが配られてどの先生の講義を選択しよう的な話で生徒が盛り上がるわけですが、「そんなことやってる暇あるなら英単語早く覚えな」と冷めた言葉を投げかける講師でした。営業より生徒の合格を優先するような考え方だったのだと思います。

 「単純労働したいならいいよ」は、よい言葉ではありませんが、ここである程度の大学に合格できなかったら人生が詰むなと考えていた自分には刺さる言葉でした。実際、どこの大学にも合格できなければ、社会的な身分としては中卒(もはやマイナス)で放り出されるわけで、単純労働しか割り振られることはないなと流石に理解していたからです。