才能で捉えるか、努力で捉えるか
周りにすごい人がいるとします。私はその人についての捉え方に、2パターンあると思ってまして、日々学生と接する中で考えるところがあったのでここで言語化します。その2パターンとは「才能で捉える」か「努力で捉える」かです。結論を言ってしまうと、うまくいきやすい人間といいますか、「突破する人間」の特徴が、物事を才能で捉えずにこの努力で物事を考える人間に多いのではないかと考えています。
分かりやすいところで例えば、東大に合格した人がいたとします。
「才能で捉える」側の人間はこう考えます、「すごい才能とセンスに恵まれた人間なんだな、自分とはそもそも頭の出来が違うんだな。」
一方、「努力で捉える」人間はこう考えます、「あー小学生くらいからすごい勉強に時間使ったんやな、自分は友達との付き合いとか部活とかもあるから難しいな。でも、そういう時間全部投入したら近いとこまではいけるんじゃないかな」
努力で捉える人間は本心でフラットに今自分ができないことがあったとしても、「いや、時間かければできるし」と考えている節があります。よくいうと、結果を時間や積み重ねの延長線上で捉えており、あらゆることについて「努力の問題」と捉える幅が広いように思います。
野球部の子は高速で自分に向かってくるボールを恐れもせずにキャッチしますが、これを才能と捉えるか、「同じシチュエーションを何回も経験してるから、慣れてるだけでしょ」と考えられるかの違いです。勉強にも同じことが言えます。ここが挑戦する子と、しない子の差です。
私は英語や数学で点数が取れること以上に、この考え方や見方をできるかどうかがとても大事であると思っています。
ではどうすれば「努力」で物事を捉えられる子に育つのか?